グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



第2回 歴史文明学から見た新興感染症


ホーム >  大学案内 >  特色ある取組 >  SDGsの取り組み >  第2回 歴史文明学から見た新興感染症

鬼頭 宏
(静岡県立大学 学長)

該当目標

ページ内目次


Webエッセイ

1 感染症と人口密度

新型コロナウイルス感染症が全国に拡大して、はじめて緊急事態宣言が出されたころから、厚生労働省が毎日発表する都道府県別感染者数の記録を調べることにした。その結果わかったことがある。それはこの病気の感染拡大がきわめて都道府県の人口密度と強い関係をもっているということである。
3月上旬までの感染者は、特定の地域で、分散的かつ偶発的に見られるだけだった。都道府県ごとの感染者数と人口密度との間に、統計的に有意な相関は認められなかった。ところが3月中旬になると、感染者を出す県が増え、全国に拡大していく。そしてその過程で相関は強まっていった。42都道府県で1647人の感染者が報告された3月29日以後、相関係数は1%水準で有意となった。

都道府県別人口密度と感染者数 2020年3月29日版

都道府県別人口密度と感染者数 2020年5月9日現在

新型コロナウイルス感染症は、咳やくしゃみに伴う飛沫感染、空気感染(飛沫核感染)、人と人との接触やドアノブを介した接触感染などによってうつるとされる。人口密度が高く、混雑した交通機関による長距離通勤・通学、狭い都市空間、密集した店舗やオフィスで仕事をせざるを得ない大都市圏で感染者が多く生まれるのは当然の結果である。Social Distancing(身体的距離の確保)、3密(密閉・密集・密接)の回避、観光地や特定警戒都道府県との往来を避けて、Stay Home(おうちに いよう)を呼びかけるのは、正しい対処法である。
ただし次の点には留意しなければならない。第1はこの観察があくまでもPCR検査で陽性とされた感染者を対象としただけなので、実際の感染者(患者)を反映していないのかもしれないことである。第2に観察期間が5月上旬までであるので、さらに感染が全国に拡大が広がった場合に、大正期のインフルエンザの場合のように、人口密度と死亡率の間には相関関係が見られないという状況が現れるかもしれない。

2 疫学的転換

感染症への恐怖は、経済先進国に暮らすわれわれにとって忘れられたものなっていたのではないだろうか。経済成長が実現し、栄養豊かな食事に恵まれ、教育による啓蒙と適度な運動が実践され、医療・医薬へのアクセスが容易となったいま、(事故と自死を別にすれば)若い人々を死から遠ざけ、死はおもに高齢者のものとなった。また死因としての感染症の重みも薄れた。過去100年の間に疫学的転換(epidemiological transition)が起きた結果である。
寿命(出生時平均余命)が80年を超える現在の日本で最も死亡数が多い死因は悪性新生物(がん)であり、心疾患、脳血管疾患がこれに次ぐ。いずれも高齢者に多く、かつて成人病、現在では生活習慣病と呼ばれる死因群である。第4位は肺炎だが、これも現在では高齢者の命を奪う病気となっている。
寿命が60年に届かなかった1950年には全結核、脳血管系疾患、肺炎及び気管支炎、胃腸炎、悪性新生物の順だった。さらに半世紀前の1900年(寿命は35年程度)の場合、肺炎及び気管支炎、全結核、脳血管系疾患、胃腸炎、老衰であった。抗生物質が出現する前の20世紀前半には、結核が多くの若者の命を奪い、肺炎および気管支炎が乳幼児の命を奪っていた。胃腸炎の原因はさまざまだが、多くが細菌やウイルスによる感染性のものだったと考えられる。脳血管系疾患については、暖房が十分ではない住宅事情、動物性食品の摂取不足、冷蔵庫がないために保存のために塩分の多い食品を摂取せざるをえないという生活も重視しなくてはならない。
明治・大正期には時おり大規模な感染症が爆発的に流行していた。日本に初めてコレラのパンデミックが及んだのは1822年(文政5年)であったが、1858年には大流行となり、江戸だけでも30万人が死亡したと伝えられている。明治になってからも1879年、1886年に10万人を超える死者を出している。コレラの脅威が収まるのは1920年代になってからだった。
インフルエンザについても、江戸時代のうちから世界的なパンデミックの波に何度もさらされていた。最大の死者を出したのは、よく知られているように、1918〜20年にかけて発生したスペイン・インフルエンザである。公式統計では約39万人、関連死も含めると推定45万人が亡くなったという。

3 都市=墓場説

人口動態が、高い出生率・高い死亡率の組み合わせから、低い出生率・低い死亡率の組み合わせに移行した(人口転換demographic transition)。人口の近代化の一側面である。日本では1920年代に変化が始まり、1960年代には人口転換が終了したとみられている。
人口転換は、都市部と農村部の人口動態の組み合わせにも影響していた。『クリスマス・キャロル』(1843年)のロンドン、『レ・ミゼラブル』(1862年)のパリ、そして『日本の下層社会』(1899年)の明治東京では、出生率は低く、死亡率は高い傾向にあった。大都市の出生率が低いのは現在と同じで、独身者が多く、住宅事情が悪いこと、それに生計費も高いことに原因があった。一方、高い死亡率の原因は、都市の人口密度が高く、不潔な感染症の巣窟であり、人々がいつも死の危険と隣り合わせていたからである。ヨーロッパで都市=墓場説(urban graveyard theory)、日本では都市=蟻地獄説とも呼ばれる現象である。その結果、平常年であっても、都市内部で人口を維持することは困難だった。都市は、出生率が高く、死亡率が低い農村部からの人口流入によって補充されなければならなかった。
前近代から産業革命期のこのような都市部の人口学的な特徴は、人口転換とともに消失した。日本では日清・日露戦争の時期を境に、都市の死亡率が出生率を上回ることが珍しくなかった状態から、出生率が死亡率を上回る状態へと移行したとみられている。
日本の近代上水道の歴史は1887年の横浜に始まるが、塩素消毒により消毒した水道水の供給は1921年に東京市と大阪市で始まった。これにより乳幼児死亡の改善に加えて、コレラ、赤痢、腸チフスなどの水系消化器系感染症が大きく減少した。近代水道の整備だけではない。近代医学に基づいた病院の設立、廃棄物・汚水処理、労働者保護規制といった社会インフラの整備も重要だっただろう。
しかしこのような近代的な人口秩序の維持は、それほど簡単ではない。著しく人口密度の高い大都市圏では、大規模な災害や感染症の流行によって、均衡の破壊が起きる。新型コロナウイルス感染症の流行は、まさにポスト近代から前近代への逆転にほかならないのである。

4 感染症とグローバリズム

この度の新型コロナウイルス感染症の国内で流行は、そのきっかけが中国(武漢)からの帰国者であったり、クルーズ船の乗客であったりしたことから、ヒト、モノ、カネ、そして情報が地球規模で行き来するグローバル化の負の側面としてとらえられる。その通りだが、グローバル化と感染症のパンデミックは、伝播の速度と規模を別にすれば、近代固有の現象ではなかった。
極東の島国である日本列島にも、稲作をもたらした渡来人は結核も運んできていた。8世紀には数度にわたって天然痘(疱瘡)の流行が起きて、奈良時代から平安時代にかけて、人口増加は頭打ちになった。16世紀にはタバコやかぼちゃなどの新種作物とともに、新大陸由来とされる梅毒が侵入し、都市圏を中心に蔓延した。いわゆる「鎖国」によって貿易と外交が制限されていた江戸時代においても、パンデミックとなって世界を席巻したインフルエンザやコレラが多くの命を奪っていた。
日本にそれまで知られていなかった感染症が爆発的に流行した時期は、古代アジアとの往来、大航海時代のヨーロッパ人との接触、そして工業化と植民地化を進める近代欧米勢力との交流が密になった時代である。作物、生産技術、文字、法、宗教、貨幣など、新しい文物や制度がもたらされて、日本の文明システムが大きく変わった時代であった。
日本にはなかった感染症が侵入するのも、風土病のように狭い地域に定着していた感染症が拡大するのも、また感染症でなくてもそれまでは顕著ではなかった疾病が社会に広く蔓延することも、文明システムが転換して日常の生活様式が変化することと関係していた。
例えば脚気については、明治末期まで伝染病説と栄養欠乏説が対立していた。いまではビタミンB1の不足によって起きるビタミン欠乏症であることが知られているが、脚気が国民病として認識されるようになったのは、江戸時代の元禄期だった。最初に、精白した米を食べる武士や上層町人の間でそれは広がった。将軍では徳川家光、家定、家茂の死因は脚気にあったといわれている。
かつては油脂不足、塩分多量摂取がもたらした脳血管系疾患も、いまでは肥満、高血圧、脂質異常症、糖尿病などのメタボリックシンドロームが強く関係している。これも栄養過多の食生活と運動不足という現代人の生活習慣を映し出している疾病である。

5 感染症との付き合い方:新しい文明

政府は新型コロナウイルス感染症を防ぐためには「新しい生活様式」の実践を提唱している。感染症対策としてそれ自体は間違っていない。しかしいま必要なことは、マナーとか習慣の遵守といった程度の問題ではない。システムとしての日常生活の転換を模索する中で、どのように感染症を含めた生態系との持続可能な関係を構築するかという、文明システム=舞台装置と演じ方の転換ではないだろうか。
経験的に天然痘ワクチン接種(種痘)は18世紀末期から行われてきたが、パスツール以後、感染症の原因となる病原体の存在が明らかにされてからは、次々に感染症の予防と治療に有効な薬剤が開発されてきた。また生活環境の整備や衛生教育の普及も感染症による死亡を減らしてきた。しかし新興感染症が侵入したり、油断すれば結核のように一旦は制圧されたように見える疾病が、再興感染症として問題を引き起こしたりする可能性がある。
新型コロナウイルス感染症を論じた記号学者の石田英敬氏は、「私たちがいま経験しているのは文明のシステミックな危機である」と断じている。また「生物学的な危機が経済危機を誘発して世界史を逆回転させている」とも述べている(「疫病の文明論 4 病の表象を見る」『日本経済新聞』2020年5月8日)。新薬を開発して感染症を予防し、あるいは制圧することは必要である。しかし文明論の立場からは、それだけではその場しのぎでしかなく、「世界史の逆回転」を元に戻すだけの機能しか果たさないだろう。新興感染症、再興感染症はもとより、現代人の生活様式と結びついた生活習慣病の脅威をより小さくするためにも、いま求められているのは、現代文明を問い直すことである。
日本が目指すべき未来社会は「Society 5.0」であると「第5期科学技術基本計画」(2016年1月)は提唱している。「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」という定義は抽象的で分かりにくいし、私の歴史観とは異なっているものの、これから向かっていく社会が、狩猟採集経済の縄文時代以後、第5番目の文明社会であることに異存はない。
中央教育審議会答申「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」(2018年11月)も、経済団体連合会・採用と大学教育の未来に関する産学協議会報告書「Society 5.0に向けた大学教育と採用に関する考え方」(2020年3月)においても、これからの人材育成はSociety 5.0に求められるものでなければならないとしている。それではこれから向かっていくSociety 5.0とは、感染症との関係において、どのような世界でなければならないのか。
新興感染症も再興感染症の原因として、開発、都市化、交通手段の発達による移動の増加、気候変動と生態系の変化、耐性菌の増加、病原性の強毒化などさまざまな要因が挙げられる。病原体自体の変異を別にすれば、多くの要因は産業文明の発展と結びついている。飽くなき物的な豊かさの追求、過剰な開発、大量生産・大量消費に伴う大量廃棄、再生不能なエネルギーへの傾斜、生分解が困難な素材利用、エネルギー・原料・食料・労働力のグローバルなサプライチェーン、大都市への人口集中と過密。したがってコロナ禍が突きつけているのは、産業文明への根源的な反省である。病原体の制圧だけでは十分ではなく、細菌やウイルスも含めた生態系と人間がつくりだす文明系の、より安定的な共存・共生関係をどのように築くのか、そしてそのなかで持続可能な発展をどのように実現するかという問いかけにほかならない。


<本稿に関連する著作>
鬼頭宏(1998年)「もう一つの人口転換-死亡の季節性における近世的形態の出現と消滅-」『上智経済論集』44-1,pp11-34.
鬼頭宏(2007年)『図説人口で見る日本史』PHP研究所、鬼頭宏(2012年)『環境先進国 江戸』吉川弘文館。

<著者紹介>
鬼頭宏(きとう・ひろし)
1947年生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。現在、静岡県立大学学長。歴史人口学、歴史文明学の調査研究を行う。主要著書に『人口から読む日本の歴史』(2000年。講談社)、『文明としての江戸システム』(2002年、講談社)

(2020年6月2日公開)

モバイル表示

PC表示