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静岡の大地(その1)


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有東木の山葵田

 安倍川は、静岡県庁と静岡市役所の間の道を、ひたすら真っ直ぐ北へ走ると、ずっと道に沿って見ることになる川である。そのままどんどん山奥に進む。両側には切り立った山の斜面が迫り、流れ込む支流には砂防ダムがあり、滝があり、温泉がある。
 昼頃に静岡市内を出発して北へ走る。新東名高速道路を通過すると山間部に入る。県道29号線を北へ走る。この県道29号線は、起点が静岡市葵区梅ケ島(豊岡梅ヶ島林道に接続)で、終点が静岡市葵区昭和町(国道1号交点)、総延長50.2キロである。愛称を「梅ヶ島街道」という。
 郷島、俵沢、油島と水に関連する地名が多い。蕨野、横山と続き、真富士の里で停車する。大河内郵便局から平野橋を渡り、安倍川の右岸を走る。また橋を渡って左岸になると、渡(ど)という地名がある。

 その渡から支流を渡ると左側に宮原酒店があり、そこから右へ坂を登る分かれ道がある。その先が今日の昼食の場所である。有東木(うとうぎ)は山葵栽培発祥の地であり、「ワサビ山」と呼ばれる大山葵田がある。江戸時代初期に、この山葵山付近に自生していた山葵を移植し、栽培を始めたのが、日本の山葵栽培の始まりとされている。
 地場産品販売施設「うつろぎ」の前に「わさび栽培発祥の地」の碑がある。「うつろぎ」では、特産の生山葵、山葵漬け、手打ちそばを味わうことができる。ときには、山葵漬けや手打ち蕎麦の体験教室も開催するという。2018年3月、「静岡水わさびの伝統栽培」が世界農業遺産に認定され、有東木地区が水山葵伝統栽培発祥の地で、日本一の山葵産地として、その伝統と歴史が世界に知られることとなった。

 「うつろぎ」の蕎麦が美味しいが、それに添えるその時期の地元の食材を使った天麩羅がいい。山葵の葉、お茶の葉、茄子、椎茸などの天麩羅である。揚げたての素朴な自然の美味しさを抹茶塩で食べる。また、山葵の茎を塩昆布で和えた葵漬けも美味しい。ご飯を、郷土料理のたたき牛蒡、山葵漬け、山葵海苔を載せて食べる。
 春と秋の神楽と盆踊が四季に折り目をつける行事となっている。有東木の村を見渡す位置にある白髭神社には、樹齢700年を超える一一本の大杉がそびえる。有東木の神楽は貴重な文化である。何百年も受け継がれてきた笛太鼓の旋律に乗って、大杉のある白髭神社の舞台で舞う。毎年4月と10月の第2土曜日に、静岡市指定無形民俗文化財の神楽が、白鬚神社に奉納される。華やかな衣装の奉納舞である。
 また、8月14日と15日には、東雲寺境内で国指定重要無形民俗文化財の有東木の盆踊りが行われる。伴奏は太鼓のみで、男踊と女踊がある。この盆踊は先祖を迎え、共に踊り明かし、送り出すという盆本来の意味を大切に守っている。

 有東木から下りてきて、元の県道29号線をさらに北上する。トンネルがある。数珠窪トンネルが長い。梅ヶ島小・中学校を過ぎたところにあるトンネルは入口がほぼ直角に曲がっていてたいへん危ない。孫佐島、大野木、そしてコンヤ温泉である。
 梅ヶ島コンヤ温泉は、強アルカリ性単純硫黄泉で、泉温は摂氏31.7度、湧出量は毎分174.5リッターで、pH10.3の強アルカリ性である。宿泊施設の収容人員数は約90名だという。県下で有数のアルカリ性の温泉で、無色透明、硫黄の匂い(参考:正確には硫化水素の匂いだが、「硫黄の匂い」として使われることが多い)がする。鄙びた温泉地であるが、冬の積雪が少なく夏は涼しい。
 梅ヶ島に住む年寄りの話では、大正時代から山林で働く村人が「コンヤ沢」から湯を持ち帰り、疲れを癒やし、傷の手当てに使っていたという。今のコンヤ温泉はこれとは別の泉源を利用している。
 赤水の滝、魚魚(とと)の里、黄金の湯、そしていよいよ梅ヶ島温泉である。
「梅ヶ島温泉郷」を代表する梅ヶ島温泉は、古墳時代にその存在が知られていたという伝説もあるが、確実なのは、残された古文書から、戦国時代末期には浴用として利用されていた。 安倍川の源流域、標高約1000メートル、しかも新幹線静岡駅から45キロにある。梅ヶ島の最奥には12軒の旅館と民宿が集まり、温泉街を形成している。「濃い温泉」と呼ばれ、秘境の地で、どこよりも濃い温泉体験ができるという。
 梅ヶ島温泉は、アルカリ性単純硫黄温泉である。泉源の標高は約950メートルである。日帰り入浴は、各旅館、民宿でも可能ではあるが、日帰り専門では「湯元屋」があり、食事もでき、売店もある。私はここで、干し椎茸を買った。他の旅館等でも食事は予約すればできる。土産も売っている。
 1913年(大正2年)、当時の靜岡縣安倍郡梅ヶ島村役場によって編集された『安倍郡梅ヶ島村誌』によると、当時までの伝承として「口碑 徃古杣人の林間に分け入りしにより発見せられたりといい、その後応神天皇の御時、黄金湯の名称を賜りしという」とあり、これより約1700年前の応神天皇の四世紀には知られていたという伝説が載っている。

 戦国時代には、武田信玄の隠し湯として使われたことがあったとも言われている。古文書によれば、徳川家康、徳川秀忠の名が見られる。江戸時代には有名な温泉地であった。身延に近いことから甲州との峠越えの交易が盛んで、湯治客も甲州経由が多かったという。江戸時代初期には良純入道親王が湯治し、その霊験ぶりに感激し、神社を開いた。三蛇権現で、3匹の蛇に導かれて梅ヶ島温泉に到達したという言い伝えで、親王が神社に捧げた3種の神器のうち1つである数珠が、老舗旅館、梅薫楼に保存されている(参考:残り2つの備前長船の刀と紺紙金字の願経の行方はわかっていない)。この神社は湯之神社として現存しているが、神社は源泉跡地に立っているわけではない。

 梅ヶ島温泉の、幕末から明治にかけての湯治客には、清水次郎長、乃木希典の名が見られ、創傷や外傷に効能のある温泉として評価を得た。第二次世界大戦時には静岡陸軍病院の臨時分院となった
 昭和になってからは、歌人の吉井勇が長逗留の時に「梅ヶ島遊草」を詠ったり、茂木草介が「太閤記 (NHK大河ドラマ)」を書き上げたり、文人たちに好まれる湯治温泉地となった。1956年(昭和31年)、梅薫楼から静岡市に源泉の権利が返され、以降、最盛期には14軒に配分されるようになり、現在に至るという。
 温泉街の上に、梅ヶ島災害の碑が建っている。その説明には、どのような災害であったかが書いてないので、いろいろと文献を調べると、大災害があったことがわかる。
 1966年(昭和41年)9月25日、台風第24号と台風第26号号による災害で、この梅ヶ島温泉は壊滅的な被害を受けた。
 2017年(平成29年)5月15日、環境省による国民保養温泉地に指定された。

 安倍川は、静岡市葵区および駿河区を流れる一級水系安倍川の本流である。清流として知られ、伏流水が静岡市の水道水に使われている。大河川であるが、本流、支流にダムが無い珍しい川である。
 安倍川のたもとで売られる名物「安倍川餅」があり、地元以外で、餅にきな粉をまぶす食べ方を「安倍川」と呼ぶようになった。
 安倍川は、静岡県と山梨県の境にある、大谷嶺、八紘嶺、安倍峠に源を発する。源流の大谷嶺(標高約2000メートル)の斜面は「大谷崩れ(おおやくずれ)」と呼ばれて、長野県の稗田山崩れ、富山県の鳶山崩れとともに日本三大崩れとされている。
 流域のすべてが静岡市内であるという特徴がある。下流部の藁科川と合流する付近で、舟山という川中島が見られ、市街地の西側を流れて駿河湾に注いでいる。糸魚川静岡構造線が流域の東近くを通る。安倍川付近に、東西で地質構造が大きく異なる境界がある。

 アイヌ語の「アペ(火)」に安倍川の名が由来すという説がある。
 江戸時代初頭、徳川家康による天下普請として、大規模な治水工事が行なわれて現在の流れとなった。それ以前には、藁科川とは別の流れで複数の川筋となり、駿河湾に注いでいた。特に薩摩藩によって安倍川左岸に築かれたと伝わる堤防は、薩摩土手と呼ばれ、一部残存していて土木学会選奨土木遺産となっている。現在、旧薩摩土手のほとんどが道路になり「さつま通り」と呼ばれている。
 2017年6月、雨量が極端に少なく、上旬から河道が途切れる「瀬切れ」が、狩野橋付近から安西橋付近までに発生した。
 安倍川の主な支流には、丸子川、藁科川、足久保川、中河内川があり、主な橋梁には、安倍川橋、平野橋、玉機橋、竜西橋、安倍川大橋、安西橋、安倍川橋、駿河大橋、静岡大橋、南安倍川橋などがある。

奥静へ橋を渡れば木々涼し  和夫
右茶畑左山葵田夏の川
有東木や老鶯の声澄みわたる

 このエッセイについて、日本温泉地域学会幹事の赤池勇治さんに多くの貴重なご意見をいただいた。記して謝意を表する。
(参考文献:国民保養温泉地・梅ヶ島温泉の形成過程、赤池勇治、温泉地域研究、第32号、2019年3月)


下記は、大学外のサイトです。

静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397.html

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