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静岡の大地(14)太田川に沿って 2022年7月12日


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太田川水系(静岡県河川砂防局による)

太田川水系(一般社団法人静岡県土木施工管理技士会による)

 2022年6月3日、遠州の小京都と呼ばれる静岡県森町の小國神社を訪ねた。森町出身の書家、杭迫柏樹(くいせこ はくじゅ)さんを支援する悠々会の集まりで講演を依頼されたので初めて訪れる機会を得た。杭迫柏樹さんには静岡県立大学にできた国際学生寮「富学寮」を大書していただいて寮に飾ったばかりである。

 森町が「小京都」と呼ばれる所以の説明を森町のウェブサイトから引用する。「日本の美しい風景を世界に知らしめた地理学者志賀重昂(しがしげたか)氏(1863~1927、愛知県岡崎市出身)は、大正12年に森町を訪れ、この地の風景の美しさに心を打たれ、『森町之賦』(森町を称える詩)を詠みました。“三方を山々に囲まれ、南部一帯に平野が広がっている。帯のように太田川が流れ、左右ににぎやかな町並みがある。三味線や太鼓のお囃子や賑やかな唄が川の流れを隔てて聞こえてきたり消えたりしている。その様はどこにでもある風情ではない、まさに『小京都』である”というもので、森町が『遠州の小京都』と呼ばれる由縁の詩として伝えられています。」とある。

 森町と聞くと「森の石松」が連想される。江戸末期の博徒で生年不詳の人物である。遠州森の木挽職人であった繁蔵の子という説と、三河(愛知県)八名(やな)郡で生まれたという説がある。清水次郎長の子分であり、次郎長の代参で金毘羅詣をした帰り、都田の常吉家へ寄った後、浜松市浜北区道本の閻魔堂あたりで殺されたといわれている。

 訪れた遠江国一宮小國神社は、平安時代中期から今に受け継がれる延宝八年の社記よると、「第29代欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられました。後に、都より勅使が派遣され、山麓約6kmの現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられた。」とある。永保2年(1082年)に、神祇官から小國社神主に清原則房が補任された。小國家系譜によると、清原氏は清和源氏より出て小國神社の神主になったとある。江戸時代の神主、小國重年は国学者として名高く、延宝八年の社記によると、社家32人、舞楽神人、社僧等は小國神主の支配のもとに奉仕していた。各々の社家の後裔が現存する。

遠江國一宮小國神社(おくにじんじゃ)(小國神社提供)

 小國神社から北の山を登ると、「ザ・フォレストカントリークラブ」がある。新緑があふれる3コース、27ホールがあり、そこのレストランで美味しいざる蕎麦をいただいた。小國神社の横を一宮川が南へと流れている。一宮川という名称であるが、ご案内役の土屋克彦権宮司によると、地元や神社の方たちは単に「宮川」と呼ぶ。この川はやがて袋井市の川会で敷地川に合流し、その敷地川が太田川の西側にほぼ平行に流れ下って、「袋井ゆうあいの里」の近くで太田川に合流する。杭迫柏樹さんはこの太田川の近くで生まれ育った。

 静岡県は昔、遠江国、駿河国、伊豆国であった。遠江国の国司が赴任すると、国内の諸神社を参拝する。遠江国内第一の地位を占める一宮が小國神社である。神代杉が欝蒼と繁る約30万坪の神域は「古代の森」と呼ばれ、200年前から植林が行われた鎮守の森を護り伝える。神奈備山である本宮山(511m)に鎮座する奥宮「奥磐戸神社」の境内からは遠州灘を遥かに望むことができる。

 祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)で、別名大国様である。神社の創建以来、徳川家康をはじめ武将たちから篤い信仰を受け、「遠江国の守護神」として人々の信仰を集める。近年では、願い事が意のままに叶う神社と言われており、「事任神社(ことのままのかみやしろ)」として広く知られるようになった。縁結び、厄除け、心願成就、交通安全の神様である。境内に大きな「ヒョンノキ(イスノキ)」があり、それが御神木である。蚊母樹の花(いすのきのはな)は晩春の季語で、むしくさの花、まさかきの花、瓢木の花、ゆすのきの花とも詠まれる。樹はマンサク科イスノキ属の常緑高木で、日本の暖地の山地に自生し、高さは25メートルにもなると言われるが、この神社の御神木はまさに大樹である。葉の虫こぶが大きく膨らんで笛となる。

小國神社のご神木

写真(左)小國神社の御神木で、昭和47年の台風で倒れた。根本に空洞ができているが、周りの部分の年輪だけでも500年を超える。写真(右:小國神社提供)御神木のイスノキ。推定樹齢800年。御祭神「大己貴命」(大国様)が「ひょうの実」を吹いたら、音色にひかれた女神が現れて契りを結んだという言い伝えから、「縁を結ぶ」御神木として信仰を集める。

 門前に「ことまち横丁」があり、その西に一宮花菖蒲園が5月下旬に開園する。6月中旬にかけて130種、約40万本の花菖蒲が早生、中生、晩生と咲く。6月初めには花菖蒲祭が開催され、拝殿前の舞殿で琴、尺八の奉納演奏、参道沿いでは野点の席が設けられる。

 機会を作って太田川の辺を歩いてみたいと思って出かけた。太田川は静岡県周智郡森町北部に源を発する。磐田市、袋井市を南流して遠州灘に流れ込む。支流は、掛川市、袋井市などを流れる。主な支流は、原野谷川、仿僧川、三倉川、敷地川で、上流には太田川ダム(かわせみ湖)がある。地元では吉川と呼ばれている上流部がある。

 太田川の河口近くには福田(ふくで)漁港がある。シラスの産地として知られており、漁港はシラスのデザインである。漁港に岸壁にはポルトガル語で「Prolbido pescar neste lado. Leve o lixo para sem falta!」(こちら側での釣りは禁止されています。必ずゴミを持ちかえりましょう! )と書いてある。現在、約3万人のブラジル国籍の人々が静岡県内で生活している。静岡県内の在住外国人の約30%を占め、県内で一番多い。ブラジルでは主にポルトガル語が話されている。

 福田漁港では「サンドバイパス事業」が珍しい技術として行われている。漁港に堆積した砂を桟橋に取り付けたポンプで吸い込み、浸食されている海岸に運ぶ。漁港の土砂の堆積を防ぐとともに海岸の浸食を補う。

福田漁港の建物と岸壁の掲示(左)。サンドバイパスの砂の出口(右)

 福田漁港の近くの「渚の交流館」では、各種のシラスなどを売っており、しらす丼などもあって、視察の途中で昼食にしらす丼を食べた。

渚の交流館

売られているシラスとシラス丼

 2019年、産業技術総合研究所が太田川低地(河口から約3km上流)の津波堆積物調査から、7世紀末と9世紀末の巨大地震の発生を確認したと発表した。工事で露出した砂層からガーネット(柘榴石)が発見されたのである。ガーネットは静岡県西部の海岸の砂には含まれているが、太田川の流域には出ない。津波堆積物の分布と過去の海岸線の位置から考えて、ガーネットは海岸から2km以上内陸に運ばれてきたことがわかる。高潮ではなく津波が発生した可能性が高いと判断された。 小國神社から東方へ2kmほどの場所に延城橋という橋があって興味深い。太田川上流の城下と左岸を結ぶ木の橋で、大尾山(おびさん)へと続く道が蔓根街道とよばれ、往時は参道として賑わっていた。テレビドラマのロケ地として使われる。

 太田川の支流、三倉川を北上すると、秋葉詣と塩の道で賑わった街道に出会える。立体集落の茶園があり、森町北西端に広がる山間集落、大久保地区がある。尾根や谷が複雑で、その地形に沿って道が曲りくねり、普段は人や車の往来が少ない場所である。山道を上がっていくと、突然開かれた集落に出会う。山肌に茶園と家屋が点在し、昔のままの風景が残る。刈り込まれた茶の木が並ぶ。

 若杉家屋敷跡は酒造りで栄えた屋敷跡である。室町時代後期、秋葉街道と百古里街道(すがりかいどう)が交差し、人の往来が多い場所であった。山本勘助が宿を借りた際、主人に商いを勧めたことから山田家ができた。土地の産物をはじめ、米、塩を担うようになり、三丸山の湧き水を利用して酒造りを行うようになり、この酒を「若杉」と名付け販売した。それが屋号になって幕末から明治にかけて繁盛した。

 三倉の名物になった「うぐいす餅」があった。戦国時代の終わり頃、山中鹿之助がこの地を訪れ茶屋に立ち寄った。茶と京菜、大豆をつぶして餅にまぶしたものが出された。鹿之助はこの餅をいたく気に入り、餅の名前を尋ねたところ、名前がないとの返答で、鹿之助は形と色から「うぐいす餅」と名付けた。

 塩の商いの往来や、秋葉山の表参道として賑わった三倉の大久保地区の街道は、急斜面が多く、道はヘアピンカーブ状になっている。歴史を記した看板や石碑が残され、記録を読みながら風景や道を望むと昔の面影を偲ぶことができる。

 三倉川が太田川に合流する地点の東100mほどの場所には阿佐姫塚がある。婦人病の神様として阿佐姫大明神に参拝する女性が多い。車の道から上っていく場所に小さな標識がありその上に赤い鳥居が立っている。

 太田川の本流は阿佐姫塚から上流側では地元の人たちが吉川と呼び、地図の表記も吉川となっている。吉川を上流へたどると太田川ダムがある。貯水湖は「かわせみ湖」と呼ばれる。太田川ダムは、1974年(昭和49年)の七夕豪雨を機会に治水と安定した水源確保を目的に作られた多目的ダムである。2009年(平成21年)に完成した。ダムは堤頂長290m、高さ70m、総貯水量1160㎥の重力式コンクリートダムである。周辺に休憩所や散策コースが整備されていて、パノラマビューの展望台「彩り岬」「片吹の郷」などがある。

太田川ダム

かわせみ湖の西側の「片吹の郷」は江戸時代から信仰されてきた地域信仰の神「大まる様」(男性)と片吹の山の守護神である「山ノ神様」(女性)が祀られた神社である。

 かわせみ湖に東から流れこむ支流をたどると、杉沢の大滝がある。昇竜橋から片道30分ほど山道を歩いたところにあり、滝壺に落ちる水が清流そのものである。

 かわせみ湖からさらに上流へ行くと、大河内清流やまめの里がある。平成11年にできた釣堀で、山間地の自然豊かな場所にあり、清流の水をそのまま取り入れた池に、ヤマメ、イワナなどが放流されている。夏には釣ったヤマメなどでバーベキューを楽しむ利用者で賑わう。

 そこから県道63号線は吉川を離れて平松峠に至る。そこから細い道をたどると大日山金剛院がある。森町と島田市との境にある大日山金剛院は、行基菩薩作の大日如来を本尊として開創されたと伝わる。明治40年春、火災のために諸堂伽藍がことごとく消失したが、幸いに火災を免れた山門は天保八年の築造で、御免大工黒川喜平の自信作とされ、天井を張らずに屋根裏の骨組みを下から見ることができるなど、数々の技巧の跡がうかがえる。

 太田川の現在の河川形状は、江戸時代の河川改修によって形作られたもので、古来、太田川は、原野谷川と合流していなくて、今ノ浦湖(現在の今ノ浦周辺)に流れ込んでいた。太田川流域の水害履歴によると、太田川と原野谷川が山地から扇状地に流れ出るあたりから合流点付近まで幾多の水害に見舞われており、これに対して治水事業が営々と続けられてきたことがうかがわれる。

 太田川水系の治水事業の沿革は、大正2年の水害防止組合施行にその端を発し、大正8年に県直営事業に着手、大正12年には内務省直轄河川に編入され、堤防の築堤、流路の掘削等を行い、昭和8年その完成をみた。その後、昭和11年に再び県管理河川となり、昭和27年から太田川本川や支川原野谷川などで河道改修事業に着手し、築堤、掘削、護岸等の整備を進められた。その後、昭和49年の七夕豪雨を契機に計画が見直され、これに基づき河川改修が実施されている。また、太田川本川やぼう僧川下流部では、想定される東海地震の津波に備える堤防の嵩上げや水門の建設が完了している。

 太田川水系では鮎をはじめ56種の魚類が確認されている。河口付近の感潮域では、鯔(ボラ)、鱸(スズキ)、鯊(ハゼ)といった汽水を好む魚が、原野谷川合流点より下流域では鯉、石斑魚(ウグイ)、銀鮒などが多く生息する。瀬と淵が連続する中流域から下流域では鮎、鮎カケ、川ムツ、ヨシノボリ類が確認され、毎年鮎釣りで賑わう。最上流部の渓流域ではアカザ、アマゴなどの渓流魚が生息する。また、オイカワは上流域から下流域の広い範囲で生息している。

 鳥類については、74種の生息が確認されている。河口部の砂州は、鳥類の貴重な餌場となっており、マガモやヒドリガモ等が越冬し、ハマシギやメダイチドリ等の渡り鳥の中継地となっている。中流域から上流域の広い範囲において、優れた自然の指標となっているカワセミやヤマセミなどの鳥類が生息する。山間部ではタカ類も確認されている。

 昆虫類では、クロスズメバチやフタモンアシナガバチをはじめとする302種の生息が確認されている。上流域から山間部の流水域ではミヤマカワトンボ、シマアメンボ、ミズスマシなどが多く生息し、森林部にはセミ類やアゲハ類が、油山寺付近の渓流にはゲンジボタルが生息する。また、可睡斎の境内にはアブラゼミ、クマゼミ、モノサシトンボなども見られる。中流域ではフタモンアシナガバチやコオニヤンマ、ミヤマカワトンボ、マダラアラゲサルハムシ、ウリハムシ、ミズスマシなどが生息する。河口域から下流域では、ホソハリカメムシ、メダカナガカメムシ、フタモンアシナガバチなどが生息する。

 また植物については247種が確認されている。全川にわたってススキ群生、セイタカアワダチソウ群生などの二次草原や、ヨシ・ツルヨシなどの群生が見られる。下流部など改修を受けてコンクリート護岸となっている部分では、わずかなすき間からススキ、アメリカセンダングサ、メドハギ、ヨモギなどが生育する。木本類が見られるのは太田川上流部と中流河岸域などである。貴重種としては、奥三河国定公園で指定されているヤマユリが上流域で、ハマボウがぼう僧川との合流点付近で確認されている。

尾池 和夫


参考文献
〈第61回静岡県学生科学賞 県科学教育振興委員会賞〉
静岡県太田川河口で発見された白鳳地震以前の津波堆積物の特徴と年代の推定
静岡県立磐田南高等学校 地学部 鈴木海渡(2年) 他6名

しずおかの河川と海岸
静岡県河川砂防局、2018年


参考URL

下記は、大学外のサイトです。

静岡県/袋井土木事務所/私たちの仕事/協働/てくてく太田川
http://doboku.pref.shizuoka.jp/desaki/fukuroi/works/coproduction/

同上/福田漁港サンドバイパス事業
http://doboku.pref.shizuoka.jp/desaki/fukuroi/works/seashore/pdf/sand-bypass.pdf

静岡県交通基盤部河川砂防局河川企画課
しずおか河川ナビゲーション
http://www.shizuoka-kasen-navi.jp/html/ota/index.html

一般社団法人静岡県土木施工管理技士会
http://sizu-dobokugisi.or.jp/info/opinion.html

遠江國一宮小國神社
http://www.okunijinja.or.jp/index.html

静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397.html?lbl=849

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