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静岡の大地(17)狩野川の流域(その2) 2022年11月1日


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 「伊豆半島の狩野川は、太平洋側にある河川の中では珍しく北へ向かって流れている川である」と前回の初めに書いた。そして「狩野川流域のことはさらに取材を進めておいて続きを書きたいと思っている」と述べた。今回はその続きである。

柿田川と周辺の地図。右上方に新幹線三島駅、左下方に水門びゅうお、中央に柿田川がある。
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 東海道新幹線三島駅から南はすぐのところに柿田川湧水群がある。静岡県の東部に位置する富士山麓の湧水の中でも特に知られている。国道1号線の近くに採水地が存在しているため、観光者が立ち寄りやすい。また、柿田川沿いには遊歩道もあり、水を飲むだけでなく自然を満喫することもできる。柿田川湧水群の大きな特徴は、水量が非常に豊富な点である。その水量は1日約100万トンと言われており、水温も約15度で飲用に適している。環境省が指定する「名水百選」に選ばれており、「東洋一の湧水」と例えられることもある。いたるところから清水が湧き出ているため、付近に立ち寄れば簡単に採水できる。

柿田川湧水と流れ

 この湧水群から流れ出て狩野川に注ぐ川が柿田川で、たった1.2kmというたいへん短い川である。柿田川公園の「わき間」からの湧水に源を発し南へ流下、清水町役場付近で狩野川に合流する。水温は季節を問わず摂氏15度くらいで、流量も年間を通してほぼ一定である。水中植物としてミシマバイカモが自生している。

 柿田川公園内にある貴船神社は京都貴船神社本宮の分社である。「恋を祈る神社」としても知られている。縁結び通りを通って、石碑上の紅白の丸い石「おむすび」に触れると恋愛運がアップする。水に浸すと文字が浮かび上がる恋の「水みくじ」が買える。

 柿田川は静岡県駿東郡清水町を流れる川で、長良川、四万十川とともに日本三大清流に数えられ、1985(昭和60)年、柿田川湧水群として名水百選に選定され、さらに国の天然記念物にも「地質鉱物」の枠で指定された。河川が天然記念物に指定されたのは沖縄県本部町の塩川に次いで2件目である。

 2022年8月29日、鮎壺の滝を訪ねて沼津市へ行った。この滝は南から流れて来た狩野川に香貫大橋の北側で北から流れ込んでいる支流の黄瀬川にある。黄瀬川に沿って県道87号線(大岡元長窪線)を北上するとJR御殿場線の下土狩駅の近くに鮎壺公園がある。今、公園の整備中であったが、広々として公園を歩くと街中の滝の様子がよくわかる。街中に大きな川を作りながら黄瀬川が落ちている。富士山からの溶岩が露出しており、ポットホールができている。トイレの整備が望まれるが今の工事できっといいトイレができると思う。ニイニイ蟬が鳴いている。澄み切った流れが冷たい湧水を静かに運んでいる。

鮎壺の滝

 鮎壺の滝は県指定天然記念物で、何枚かの溶岩が積み重なった厚さ10mほどの岩盤がある。約1万年前に富士山から流れてきた溶岩流で「三島溶岩」と呼ばれる。溶岩の下にあったやわらかいローム層(風に舞った火山灰や大気中のほこりが積もった地層)が黄瀬川の流れによって削られ、残された硬い溶岩の部分が滝を作り出した。岩盤の底には、かつてそこに生育していた樹木が立ったまま焼かれたことを示す溶岩樹型の丸い穴(溶岩樹型)も複数見られる。つり橋からは滝と富士山を正面に見ることができる。滝の東側の市街地にある割狐塚(わりこづか)稲荷神社の境内には、三島溶岩の表面にできた溶岩塚が保存されている。溶岩塚は、溶岩が流れる際に、先に冷え固まった部分が横から押された結果、割れて盛り上がってできたものである。

 縄文時代に黄瀬川を含めた海面の低下が起こり、溶岩層が断裂して高さ約8メートルの滝となった。黄瀬川は用水としての役割も大きく、堰や水門や樋が各所にある。鮎壺の滝からは、稲作用の用水路が引かれている。1603年、天野三郎兵衛が本宿堰を開削し、本宿用水を引いたが、そのすぐ上流にも牧堰という用水があったことから、渇水時の水の分配については長年論争があった。1854年安政の大地震で本宿用水のトンネルが崩壊したが、村人を総動員し、新たに掘削して復旧させた。滝の下流、長泉町側には1981(昭和56)年に鮎壺公園、沼津市側は緑地として整備され、両者の間には吊り橋が設置されている。この橋からは川中からの視点で滝を観賞することができる。なお、滝の主たる管理者は長泉町である。 1998(平成10)年3月、長泉町と沼津市をまたぐ「鮎壺のかけ橋」がかけられた。

 鮎壺の滝にまつわる伝承、「亀鶴伝説」がある。昔、黄瀬川宿(沼津市)の長者の許に亀鶴という美しい娘がいた。1293(建久4)年、源頼朝が富士の巻狩りをおこなったとき、亀鶴の美貌の評判を聞き招こうとしたところ、亀鶴は応じないで鮎壺の滝に身を投げた。他の説としては、亀鶴は工藤祐経の屋形に招かれたが、曾我兄弟の仇討ちに居合わせたため、逃げ出して鮎壺の滝に身を投げたともいわれる。

伊豆半島ジオパークの説明
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窪の湧水

 鮎壺の滝から1. 5kmほど南に「窪の湧水」がある。黄瀬川の扇状地内に形成された段丘崖の下からの湧水地である。湧水の横には、高さ10mほどの崖(段丘崖)があり、この急な坂を下ると現れるこの遊水地を、地元では「窪」と呼んでいる。窪の湧水の西側にある黄瀬川は扇状地を作りながら何度も流れを変えてきた。かつてこの付近を流れていたこともあり、周囲の大地を削りながら、この崖を作った。黄瀬川が削ったこの崖では、約2900年前に発生した富士山の大崩壊に伴う泥流(御殿場泥流)や、その後の川の流れが運んできた土砂が観察できる。土砂の地層のうち、地下水を通しやすい部分がこの湧水をもたらしている。

 元に戻って、狩野川放水路が海に出る地点から西伊豆方面へ向かうことにした。前回、沼津港大型展望水門「びゅうお」の展望室から南側に遠く西浦の海岸が、左右に長く見えていた。その海岸の右端、つまり西の端が大瀬崎(おせざき)である。
 大瀬崎へは沼津市役所の前の国道414号線を南下する。馬込を過ぎて大久保の鼻を左へ曲がり込んで江浦湾を右に見ながら東へ走る。トンネルを抜けて狩野川放水路の海への出口、口野放水路の信号から県道17号線に入って駿河湾を北に見ながら西へ向かう。西の端に大瀬崎がある。

狩野川放水路
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狩野川放水路から西へ県道17号線に沿って大瀬崎へ
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 そこから西浦に沿って細かく入り組んだ地形が小さな湾を作っており、それぞれの特徴を出した小さな港がある。ヨットの停泊地、大きな旅館がある港、淡島へ渡る港、養殖の筏の多い港などがある。陸側はすぐに高くなっている地形で斜面にみかん畑が多い。西浦みかんの産地である。沿道に大きな販売所がある。

 沼津が誇るブランドみかんである「西浦みかん」の中でも「寿太郎温州」は、1975(昭和50)年に沼津市の山田壽太郎氏が「青島温州」の枝変わりとして発見したものである。糖度の高さ、酸味と甘みのバランス、濃厚な風味が自慢で、12月に収穫したのち、貯蔵庫で温度と湿度を一定に保ち、1、2ヶ月熟成させ、甘さを引き出した高糖度系の本格貯蔵みかんで、出荷は毎年2月初めから3月中旬頃になる。沼津市のみかん栽培面積の5割を占める。

大瀬崎付近の案内
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 大瀬崎へ降りてみる。有料駐車場にはたくさん車が止まっている。半島の先に神社があり、神池がある。大瀬明神の神池(おせみょうじんのかみいけ)は、突き出した大瀬崎の先端にあって、最長部の直径がおよそ100mの池である。伊豆七不思議の一つで、国の天然記念物である「ビャクシンの樹林」に囲まれている。海から最も近いところでは距離が20mほどであり、標高は1mほどしかなく、海が荒れた日には海水が吹き込む。それにもかかわらず淡水池で、鯉、鮒、なまずなどの淡水魚が生息する。富士山から伏流水が湧き出ているとする説もあるが、海水面の上下に従って水面の高さが変わるとも言われている。淡水池であることの仕組みはまだ解明されていない。

 神域であり、古くから池を調べたり魚や動植物を獲ったりする者には祟りがあるとされる。池の水が層状になっていると機材や人が池に入ると環境破壊となる恐れが強い。さらに、透明度が低く池の底の観察が難しい。このようなさまざまな理由で調査はなされていない。水深も不明のままである。遠隔での調査の手法が活用される絶好の舞台になるであろう。

酒蔵公園通りの案内
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 帰り道、高嶋酒造に立ち寄る。沼津の銘酒「白隠正宗」を造る酒蔵である。富士山からの深層水を仕込み水に使い、純米にこだわって造る日本酒で、沼津を誇る地酒として人気を集めている。純米のみで造られている白隠正宗は、酒粕や甘酒も美味しい。仕込み水として使われている深層水は、酒蔵の脇に無料で開放してくれている。その美味しい水をポリタンクに汲みにくる人たちが列を作っている。私は行ったときには料理人のような男性がたくさんポリタンクを並べて水を溜めていた。
尾池和夫


下記は、大学外のサイトです。

伊豆半島ジオパーク 湧き水・温泉のサイト
https://izugeopark.org/maps/category-c04/

しずおか河川ナビ
http://www.shizuoka-kasen-navi.jp/html/ota/index.html

静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397.html?lbl=849

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