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静岡の大地(その7)御前崎とその周辺


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日本シームレス地質図(産総研地質調査総合センター)より
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地質凡例
1:後期更新世-完新世(H)の海成または非海成堆積岩類。約1万8000年前~現在までに形成された最も新しい時代の地層
3:中期更新世(Q2)の海成または非海成堆積岩類。約70万年前~15万年前に形成された地層
5:中期中新世-鮮新世(N2-3)の海成堆積岩類。約1500万年前~170万年前に海で形成された地層
6:後期中新世-鮮新世(N3)の海成または非海成堆積岩類。約700万年前~170万年前に形成された地層
8:前期中新世-中期中新世(N1)の海成または非海成堆積岩類。約2200万年前~1500万年前に形成された地層
162:後期更新世-完新世(H)の砂丘堆積物。約1万8000年前~現在までに砂丘で形成された地層
171:後期更新世(Q3)の中位段丘堆積物。川沿いのやや高い所に分布している約15万年前~7万年前に形成された段丘層

御前崎の位置:大井川と天竜川の間にあり、東には駿河トラフがある。
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御前崎は、東に駿河湾、南に遠州灘を望む。静岡県で、島嶼を除いて最南端にある。東側に御前崎港、さらにその北側に地頭方漁港がある。遠州灘の湾岸流で砂丘ができている。今では海岸浸食が激しく、海岸線が後退する。
風も強く「遠州のからっ風」と呼ばれる。マリンパーク御前崎は、ウィンドサーフィンやサーフィンの名所である。
御前崎の海亀とその産卵地が国の天然記念物に指定されている。毎年6月から8月に、アカウミガメの産卵が見られる。
御前埼灯台は、御前崎の最南端にあり、海抜53m、光達19海里の灯台で、英国のリチャード・ヘンリー・ブラントンにより設計され、1874年に初点灯した。灯台の東南東3kmほどの海中に、御前岩と呼ばれる暗礁がある。この海域で、1953年から1957年までの間に17隻の海難事故が発生するというような危険な海域であった。そこに船舶が近寄らないように、1958年に御前岩灯標が設置された。

御前崎は、牧之原台地の南端である。牧之原台地は、牧之原あたりから3つに分かれる。東へ権現原の東陵、相良の寺河原東南陵、それと御前崎南陵へ続く。御前崎台地はプレートの沈み込みによる巨大地震の繰返しで沈んでは反動で隆起するという運動を繰返して、半島の先端が高くなった。御前崎台地は海岸段丘である。

五月雨の大井越したるかしこさよ   蕪村
遠州灘冬の怒濤の二重打ち   百合山羽公

牧之原台地:橋本隆夫:大井川下流域の段丘・牧の原台地(地学散歩(54))による。

台地は、海成の砂礫層が乗っている隆起海食台である。周辺の海岸低地と急崖で境(さかい)されている。台地面には、断層による崖の発達、浅い谷が発達している。海岸の波食台にも断裂系が見られる。西部の海岸には砂堆や砂丘が見られる。港湾整備による人工化が進んでいる。
相良層群を基盤とする御前崎砂礫台地の上部に、白羽礫層とよばれる円礫をふくむ海成礫層が分布している。台地南側には砂丘が発達し、砂層も厚い。

日本列島は糸魚川―静岡構造線を境として東北日本と西南日本に分けられ、さらに西南日本は中央構造線を境として、北側の西南日本内帯と南側の西南日本外帯に分けられる。その西南日本外帯は、フィリピン海プレートが、ユーラシア・プレートの下に沈み込む、その沈み込み口である南海トラフに面している。南海トラフの陸側の地下では、プレートの沈み込みで低角逆断層型の巨大地震が、歴史時代においても数多く発生してきたことが古文書などでわかっており、歴史時代の前にも繰り返していることが地質学的証拠からわかっている。
西南日本外帯には、南海トラフ側に突出した岬が並んでいる。御前崎、潮岬、室戸岬、足摺岬など、標高数百メートル以下に数段の海成段丘が発達しており、日本の海成段丘地形の模式地の一つとなっている。海成段丘は、緩く海側に傾斜する浅い海底面が、氷河性海水準変動と地殻変動によって離水してできた台地状の地形である。海成段丘の存在は、少なくとも第四紀後半における、その地域の継続的隆起傾向を示唆している。
隆起をもたらした地殻変動の様式は、それぞれの地域で異なる。南海トラフに近接する地域に関しては、巨大地震のたびに陸地が数十センチから数メートル隆起しており、このような地殻変動が累積して、海成段丘が発達した。

1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分から、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約20キロメートル(北緯33度8分、東経136度6分)から浜名湖沖まで震源断層面の破壊が進行し、マグニチュード7.9のプレート境界型巨大地震が発生した。東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたことを隠すために、「東南海地震」の呼び名にしたと言われている。
この地震で、熊野灘の新宮では0.3m沈下、鳥羽では0.3m沈下、名古屋で0.25-0.4m沈下、渥美半島では0.3-0.4m程度の沈下、浜松で0.3-4m沈下、清水で0.5m沈下した。
それに対して、掛川で0.07m隆起、相良港で0.3m隆起、御前崎では0.15m隆起した。北西側が沈降し南東側が隆起する傾動は、1854年の安政東海地震と似ているが、駿河湾西岸が沈降している点が異なる。

2038年頃に発生すると予想されている次の南海トラフの巨大地震では、現在の海岸の地形がどう変化するかに、私は関心を持っている。
岩石で構成された海岸には特徴的な地形がある。海水の作用で陸地が浸食されることを「海食」という。潮間帯が影響を受けやすく、その浸食地形を「海食地形」と呼ぶ。波食によって形成された地形を「波食地形」という。「海食崖(sea cliff)」は、海に面した山地や大地で、波食を受けた崖である。波食崖ともいう。「波食棚(wave-cut bench/shore platform)」は、潮間帯にある平坦な台地である。「海食台(abrasion platform)」は、潮間帯に見られる波食棚と小崖(nip)を境にして一段下位にある海面下の浸食面である。沖に向かって緩やかに傾斜し、砂や礫などで覆われている。
御前崎では、このような地形が見られるが、相良層群の波食棚が目立つ。宮崎県にある「鬼の洗濯板(洗濯岩)」などと同じである。
磯釣の人が黒鯛を釣っている。磯の間に走る小さな蟹を餌にするという。また、磯の上に四角い柱が打ち込んであるのが見えるが、聞くところによると昔、座礁した船がながされないようにつなぎ止めるために打ち込んだ杭だという。

御前崎の磯。現在は満潮時に見えなくなるが、次の巨大地震でまた隆起して陸になる。


御前崎からさらに西へ海岸を走ると、浜岡原子力発電所の敷地で、陸側に迂回し、その西の海岸に向かうと浜岡砂丘である。

浜岡砂丘

浜岡砂丘から東を見る。浜岡原子力発電所がある。

浜岡砂丘から西を見ると、風車が並んでいる。

御前崎にはいろいろな話題がある。浜岡原子力発電所もそれらの一つで、中部電力唯一の原子力発電所である。以前、高さ10m~ 15mの砂丘で、斜面遡上高8mの津波を防ぐ想定になっていた。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震における福島第一原子力発電所事故の教訓から、数回にわたって計画が変更され、地上高は海抜18mへ引き上げられた。
2013年6月13日木曜日に、私は、浜岡原子力発電所を見学した。中部電力の原子力本部長の阪口正敏さん、土木建築部部長の久野通也さん、原子力部業務グループ副長の田中弘文さん、浜岡原子力発電所所長の梶川祐亮さんたちが案内してくれた。津波対策では、福島第1の状況を事故直後に視察して、電源盤を高台に移設することとして実行した。高台の免震建物に電源を作っている。免震建屋で普段も仕事をしている。また、鉄の扉を頑丈にした。日本列島の地下の地震発生に関しては、日本は精度の高いデータを持っているので、その情報をリアルタイムで免震棟に表示しておいた方がいいと進言した。安全情報を市民へ伝えるという私の考えを述べた。

もう一つの話題は、相良油田である。この油田は、太平洋岸唯一の石油抗である。相良油田は、明治5(1872)年に発見されたあと、翌明治6(1873)年に菅ヶ谷地区で開坑、試掘に着手された。明治7(1874)年からは、日本初の機械掘りの油井が始まり、明治17(1884)年頃の最盛期には、原油生産額4,000石(ドラム缶約3,600本)が産出され、油井240坑、従業員600人に及んだと言われている。
昭和30(1955)年頃まで産出していたが、その後の稼動は中止された。この油田で産出された石油は、色が琥珀色で、極めて良質の石油として有名であった。現在は、昭和25年にロータリー式掘削法により開坑した機械掘井戸が一つ保存されており、県文化財に指定されている。井戸で実際に油のくみ上げを見学することができる。
平成19(2007)年には、近代石油産業発祥の地として、経済産業省「近代産業遺産」に認定された。
週刊少年ジャンプで連載中の漫画「Dr.STONE(ドクターストーン)」に、相良油田が登場する。この作品の多くのファンが、牧之原市菅ケ谷の「相良油田の里」公園を訪れている。稲垣理一郎さん原作の「ドクターストーン」は、自然や人類が石化した世界で、少年が科学の力で文明をつくり上げていく物語である。相良油田は連載を収録した単行本10~11巻にかけて、船のエンジンの燃料として必要となった石油を探す場面で登場する。

相良油田の油井(左)と手掘り小屋(右)

相良油田資料館への入口の茶草場でせっせと草を手で刈り取る七十七歳の女性がいて、しばらく苦労話を聞いた。茶草場にはさまざまな植物があるが、ここでは茅(かや)に似た葉の長い植物が植えられている。穂が出ないので扱いやすいというが、植物の名は不明のままである。

茶草場農法は、茶園の畝間に芒(すすき)や笹などを刈って敷く伝統的農法である。これによって茶の味や香りが良くなる。秋から冬に掛けて茶園周辺の茶草場の草を刈って畝間に敷く作業が行われる。芒は、10年以上の時間で土に還る。芒が分解された土は、手に取るとふわりと崩れるやわらかさである。
「静岡の茶草場農法」は、世界農業遺産である。世界農業遺産の正式名称を「世界重要農業遺産システム(Globally Important Agricultural Heritage Systems:GIAHS)」である。世界の農林水産業の振興を司るFAO(国際連合食糧農業機関、本部:イタリア・ローマ)が認定する。

茶草場の草刈り。茅のような長い葉の植物名はわからなかった。


相良には、もう一つ、「相良の根上りマツ」(牧之原市)がある。推定樹齢250年の老木であり、宝永4年(1707)の南海トラフの巨大地震で発生した津波により、根元の土が洗い流されて根が競り上がったような形になった。近年までは5本の松が残っていたが、伊勢湾台風の影響などで3本が枯れて現在は2本となっている。地面から3~4m根が見えており、「二階松」とも呼ばれる。静岡県指定天然記念物の一つである。

相良の根上がり松

御前崎からの帰途、国指定史跡である島田宿大井川川越遺跡に立ち寄った。夕方、見学施設を係の女性が閉めて廻る時刻であったが、町並みを歩きながらさまざまな遺跡を見ることができた。島田市博物館から東へ続く約300メートルの旧東海道沿いに遺跡はある。江戸時代、幕府によって架橋、通船を禁じられていた東海道最大の難所であった大井川は、川越人足たちの手を借りなければ渡ることができなかった。したがって、川越周辺は大変賑わっていた。

島田宿川越遺跡地図:島田市博物館「川越遺跡の概要」より


博物館より少し東に行くと、街道の左右に「せぎ跡」がある。河原の石が積んであり、溝に板を挟んで堤防の役目をする。ここから西が河原である。
川会所の敷地内に芭蕉の句碑がある。元禄4(1691)年、まだ川越制度が確立していない頃に、芭蕉は大井川を渡った。

馬方はしらし時雨の大井川   芭蕉

浜松へ六十五キロ秋の海    和夫
御前崎沖の釣り舟秋の空
牧の原台地の端の秋桜

島田宿大井川川越遺跡の「せぎ跡」



下記は、大学外のサイトです。

20万分の1シームレス地質図(産総研地質調査総合センター)
https://gbank.gsj.jp/seamless/seamless2015/2d/

橋本隆夫:大井川下流域の段丘・牧の原台地(地学散歩(54))(静岡大学学術リポジトリー)
https://shizuoka.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=10223&item_no=1&page_id=13&block_id=21

島田市博物館
https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/kawagoshi/kawagoshi-iseki/

静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397.html?lbl=849https:/

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