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副学長リレーエッセイ 第6回(賀川 義之)


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「艱難汝を玉にす」 - 岩﨑照吉に思いを馳せる -

静岡県立大学の創始は1916年開校の静岡女子薬学校まで遡り、今年で 創始110周年を迎えます。設立者は岩﨑照吉です。照吉は1871年に安倍郡大谷村(現在の静岡市駿河区大谷)にて生まれた眼科医でした。幼少期の怪我で歩行が困難となり、車椅子での生活でした。医師を目指し上京して医学を学び医師免許を取得しました。脚に障害があるため、往診など移動の必要性が低い眼科医となりました。東京での遊学中に障害を持ちながらも真摯に医学に取り組む姿が明治の元勲である土方久元伯爵の眼にとまり、知遇を得ました。土方久元は土佐の出身で中岡慎太郎らと薩長同盟の成立に大きな功績を残し、明治政府でも宮内大臣として長く天皇を支えた功労者です。照吉は東京での医学研鑽の後、郷里の静岡市へ戻り1896年に栄町(現在の葵区栄町)で眼科医院を開業し、1900年に鷹匠町へ医院を移転しました。照吉は鷹匠町とは別に、三保(現在の清水区三保)に療養施設として三保療園を設立しました。午前中は鷹匠町で眼病患者を診察し、午後は馬車で三保療園まで出かけ診療する多忙な日々を送りました。土方はその最晩年に静岡の照吉を訪ね、三保療園に宿泊し旧交を温めました。三保療園には土方の揮毫による「艱難汝を玉にす」の額が掲げられていました。このことわざは、「人は多くの艱難を乗り越えてこそ立派な人物になる」(広辞苑)という意味で、西洋由来のことわざを日本風に翻案したものです。

さて、照吉が45歳の時、静岡で眼科医院を開業してから20年後の1916年に、意を決して眼科医院の隣に静岡女子薬学校を設立します。女子薬学校跡(県道354号線沿い)には現在、静岡県立大学薬学部発祥の地の石碑が建てられています。また、開校当時の門柱は本学草薙キャンパスのはばたき棟入口の右横に移設されています。女子薬学校の設立においても前述した土方の支援があったようです。設立に際して照吉は「余は才学その器にあらずといえども、多年考究の結果、薬学はもっとも女子の先天的技能を啓発するに適する高尚なる学業にして、自宅開業、通勤、奉職、国家的職業として独立の権能を有し、薬剤師として活路広く、これ微力を捧げて、熱心努力女子将来に一つの公道を醸さんとする」と趣意を述べています。当時は大正デモクラシーのまっただ中、民本主義が発展する中で男女平等や教育改革が進んでいた時期です。照吉は、当時の社会情勢にも照らしながら、将来の女性の社会的・経済的進出のみちとして、薬学教育・薬剤師養成を決意しました。当時の眼科医院は800坪あり、2つの大きな池には鯉が泳いでいたそうです。このように書くと非常に裕福な環境のようにみえますが、照吉の長男康氏によると、実際は薬学校創設以来、医院の収入の多くは学校経営にさかれ、質屋で借金するほど困窮しており、「薬学校さえしてくれなければ、以後の生活において辛酸をなめなくて済んだ」とも回想しています。財政面で苦心しながらの薬学校の運営でした。照吉は1925年夏に死去します。享年54歳でした。駿河区大谷の大正寺に埋葬されており、辞世の句が墓石に刻まれています。「なきになけ はなれてわたる思いかな 親のひざこそ 人はやすけれ」。照吉の死後、薬学校の屋台骨である校主を失い、一時は廃校寸前にまで混乱します。しかし、照吉の息女や渡辺和兵衛らの教員陣らの尽力により、かろうじて存続することができました。薬学校はその後、県立薬学専門学校、県立静岡薬科大学、現在の静岡県立大学薬学部へと発展することになります。

現在の薬学部のモットーは「熱心努力、将来に一つの公道を醸さん」です。これは、前述した照吉の薬学校設立時の趣意「熱心努力女子将来に一つの公道を醸さんとする」から引用しています。照吉は薬学校設立の恩人である土方の学問や教育に対する考え方の影響を強く受けていたことが推察されます。土方による「艱難汝を玉にす」と照吉の「熱心努力、将来に一つの公道を醸さん」との間に、彼らの学問に関する考え方の共通点を見出すことができるように思っています。すなわち、両者から苦難の状況であっても目的の成就に向けて努力を惜しまない姿勢が見て取れるように思えてなりません。

終わりに、出典とした「静薬六十五年史」は本学のルーツを始め、沿革が細かく記された記録であり、本学図書館でも閲覧できます。次年度に総合大学としての開学40周年(創始111年)を迎える本学にとって重要な資料です。六十五年史を編纂された私の恩師でもある薬理学教室の林栄一教授をはじめとする当時の教職員の方々の熱意と努力に心より敬意を表します。


出典:
静薬六十五年史(林栄一編、1982年)、靜陵廼杏林界(倉持鑄吾発行、1917年)

執筆者紹介

賀川義之副学長

賀川 義之
静岡県立大学の前身である静岡薬科大学薬学部卒業後、同大学大学院薬学研究科にて研究を進め、修士課程を修了。のちに三重大学より博士(医学)の学位を取得。三重大学医学部附属病院薬剤部副部長を経て、静岡県立大学教授に就任。同大学学部長を経て、2024年副学長に就任。
(2026年7月15日)

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