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第7回 ロヒンギャ難民を窮地に追いやる新型コロナウイルス問題


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塩崎 悠輝
(国際関係学部 准教授)

該当目標

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Webエッセイ

疫病が急に感染拡大すると、それまで社会の中に隠れていた感情が表に現われるようになります。14世紀、ヨーロッパでペストが流行した時、ユダヤ人に疑いの目が向けられました。現在のフランス北東部にあるコルマールという都市では、1348年にペストの大流行が始まるとともに、ユダヤ人男性が拷問にかけられて、井戸に毒を混ぜた、という「自白」をさせられたのをきっかけに、ユダヤ人の虐殺が始まりました。疫病によって人々の不安が高まったことで、従来から抱いていた感情が、暴力として現れたといえます。
細菌やウイルスという概念がなかった時代は、人々の不安は、現在よりも大きかったでしょう。原因と解決を求めた時に、従来から持っていた偏見や憎悪が、疫病と結びつけられることも多くありました。現在でさえ、新型コロナウイルスの感染が中国から始まったという理解に基づいて、欧米をはじめ世界各地でアジア人全般に敵意が向けられる、という事例が見られます。インターネット上では、「~人がこの疫病を持ち込んだ」「感染者のほとんどは外国人」といった言説はめずらしくありません。
マイノリティの人々への感情をつくってきたのは、その社会で、マイノリティの人々がどういう位置にいて、どういう役割を担わされてきたのか、という要因です。政治や経済における地位、どういう仕事についているか、どういう宗教を信じているか、といったことで、偏見や憎悪といった感情がつくられていきます。そして、疫病をきっかけとして、そのような感情が正当化され、時に暴力さえも正当化されます。

以下で話そうとしているのは、ロヒンギャと呼ばれる人々、その中でも難民の状態にある人々のことです。ミャンマーの西部、ラカイン州に住んでいたロヒンギャの人々は、200万人ほどが難民となって、世界各地に住んでいます。ラカイン州は、1785年まではアラカン王国という国がありましたが、現在はミャンマーの領土になっています。ロヒンギャの人々は、宗教面では、ミャンマーで最も人口が多い民族であるビルマ人の大半が信じる仏教とは異なり、イスラームを信じています。
多民族で構成されるミャンマーでは、各地で少数派の民族と政府軍の紛争が続いてきました。特にロヒンギャの人々は、1982年に政府が定めた国籍法により、ロヒンギャという民族が存在していること自体を否認されました。その結果、国籍を剥奪され、それまで持っていた参政権や学校へ行く権利、法の保護を失いました。以後、政府軍による「掃討作戦」が繰り返し行われ、暴力や略奪の対象となりました。特に2012年は17万人が国外に追いやられ、2017年には過去最大の「掃討作戦」が行われ、数万人が殺害されて70万人以上が国外に逃れました。
現在、ミャンマー国内に残るロヒンギャの人々は100万人程度と考えられます。200万人程度が国外にいます。そのうち、100万人はラカイン州から西側、ナフ川という大きな川を渡った先にあるバングラデシュ南東部にいます。あとはサウディアラビアに50万人程度、パキスタンに30万人程度、マレーシアに20万人程度いると考えられます。

バングラデシュ南東部のロヒンギャ難民キャンプ(著者撮影、2019年7月30日)

難民というのは、難民条約によれば、「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある」人々のことをいいます。ただし、ある国に難民としての保護を求めてきた人々を難民として認定するかどうかは、その国の政府が決めます。ミャンマーの外に逃れた200万人ほどのロヒンギャの人々が、諸国の政府から難民として認められた例は、ごくわずかな割合です。もともと、国籍を剥奪されているため、パスポートも持っておらず、不法に入国して不法に滞在している、あるいは、その国の政府に滞在を黙認されている、という場合がほとんどです。

バングラデシュ南東部に100万人ほどのロヒンギャ難民が暮らすキャンプがあるのは、そこがラカイン州から最も近い外国であるからです。このキャンプは、2017年に70万人が逃れてきてから急拡大し、世界でも最大規模の難民キャンプの一つです。世界各地の難民キャンプで共通していえることですが、衛生環境、特に飲料水やトイレの問題があり、コレラなどの感染症が発生することが多いです。現在、このキャンプでも、新型コロナウイルスの感染者が増え続けています。
難民は、受け入れる側の社会にとって負担になります。バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプの場合、100万人が、外に出ることも、仕事をすることもできないまま、難民キャンプの中で3年間密集して暮らしています。この100万人が、キャンプ周辺のバングラデシュ社会で仕事を得ようとしても、現地の人々から仕事を奪うことになるので、禁止されています。食べるものを得ようとすれば、バングラデシュ政府や国連、NGOに依存するしかありません。しかし、生きていくためには食料だけでは十分ではありません。例えば、水は沸かして飲まなければならず、また、料理をするためにも燃料が必要です。キャンプ周辺の山に生えていた木は、あっという間に難民たちに切り倒されて丸裸になりました。木を切り倒さないようにするためには、プロパンガスなどが必要ですが、国連やNGOからの援助では足りていません。

バングラデシュのキャンプで、帰還できる時に備えてビルマ語を学ぶロヒンギャ難民の子供たち(著者撮影)

バングラデシュも貧困層が非常に多い国ですが、現地社会の人々は、負担を引き受け、ロヒンギャ難民を受け入れてきました。しかし、川の魚が取られて漁業ができなくなったり、援助物資が周辺の市場に流出することで農産物の価格が低落したり、負担を重く感じた現地の人々のロヒンギャ難民への感情は悪化していきました。ロヒンギャ難民は、ミャンマーへ帰還しても再び迫害されることを恐れています。
従来から、現地社会との軋轢が高まることを見ていたバングラデシュ政府は、ロヒンギャ難民をはるか沖合の無人島に移送してしまうという計画を立てていました。バシャン・チャール島という無人島で、陸から60km離れています。島というか、海面からわずかに高い干潟のようなところで、雨季になると水面下になります。さすがにそこに移ることを受け入れるロヒンギャ難民はおらず、この計画はこれまで実行されずにいました。
2020年5月、バングラデシュでも新型コロナウイルスの感染者が急増し、毎日1000人以上の感染者が確認されるようになりました。難民キャンプ周辺の現地社会でも不安が高まりました。この状況で、バングラデシュ政府は、ロヒンギャ難民を無人島に移送する計画を開始しました。

ミャンマーでも、バングラデシュでも、ロヒンギャ難民は展望が開けず、欧米諸国に難民として受け入れられことを希望する人々は多いですが、その希望がかなうことは稀です。何とか将来を切り開こうとするロヒンギャの人々が目指すのは、マレーシアです。マレーシアは、1人当たりGDPが1万ドルを超える、東南アジアでは比較的豊かな国です。
ミャンマーやバングラデシュからマレーシアへ行くには、船に乗って海路で行くか、タイを経由して陸路で行くルートがあります。いずれにしても、密航業者に金を払って、不法入国することになります。ロヒンギャの人々は、国籍を剥奪されてパスポートを所持していないため、どこの国に行く場合でも不法入国しか方法がなく、不法滞在するしかありません。密航業者は、実態は人身売買業者であることも多く、マレーシアにたどり着けず、幽閉されて死ぬまで強制労働に従事していた事例も数多くあります。
マレーシア政府は、ロヒンギャ難民が不法入国してくることは承知していますが、これまで黙認してきました。主な背景は、マレーシア経済が外国人労働者を必要としているためです。人口3100万人のマレーシアでは、500万人ほどの外国人が、製造業や建設業、飲食業をはじめ、様々な産業で働いています。そのうち、就労許可を得ているのは200万人ほどであり、不法就労している外国人が300万人ほどいると考えられています。不法就労が実質的に黙認されているのは、不法就労の外国人を雇うことを希望する経営者が多いためです。不法滞在者・不法就労者は、弱い立場にあるため、最低の賃金と、安全の保障のない最低の待遇で働かざるを得ない、という事情があります。
現在、マレーシアに住んでいるロヒンギャ難民は、20万人程度であると考えられています。入国管理を経て入国しているわけではないので、正確な人数は誰も把握できていません。これまで、マレーシア政府は、ロヒンギャ難民が密航して来て、滞在していても、ほとんどは黙認していました。マレーシア国民の中でも、特にイスラーム教徒の間には、ロヒンギャ難民に対して同情的な世論もありました。しかし、2020年5月、マレーシアで外国人労働者の間で多数の新型コロナウイルス感染者が確認されると、ロヒンギャ難民の新たな入国が阻止されるようになりました。海を渡って来たロヒンギャ難民が、マレーシアに上陸できず、バングラデシュに戻ろうとして、船中で死亡する事例や、バングラデシュ政府にそのまま無人島へ送られる、という事例も起きています。
マレーシアにたどり着いたロヒンギャ難民は、特に市場や港湾などでの労働に従事しています。不法滞在者・不法就労者として弱い立場にあり、最低の賃金、最低の待遇ではありますが、ミャンマーやバングラデシュではできなかった、労働で収入を得るということが、マレーシアではできます。クアラルンプールやペナンといった大都市で働き、その近くでロヒンギャ難民のコミュニティが形成されています。
法的な身分のないロヒンギャ難民は、子供であっても学校に行くことも、病院に行くこともできません。労働に従事している児童も多くいます。一部の子供は、ロヒンギャ難民自身がつくったイスラーム学校や、マレーシアのイスラームNGOがつくった学校で教育を受けています。

マレーシアのイスラームNGOが運営している学校で学ぶ、ロヒンギャ難民の子供たち(著者撮影)

マレーシアに住むロヒンギャ難民も、新型コロナウイルスの感染拡大によって、急速に窮地に追いやられました。2020年3月、マレーシア政府は、新型コロナウイルスの感染拡大を抑止するために、移動と経済活動を制限しました。ロヒンギャ難民を含む外国人労働者が働いていた場も営業を停止したところが多く、全般的に収入が途絶えるか、減少しました。マレーシア政府は、所得の減少した国民に現金を給付するなどの支援策を発表しましたが、ロヒンギャ難民は、そのような支援を受けることはできません。
2020年5月になり、マレーシア国民の間で新規の感染者が減少したということで、活動の制限が緩和されていくことが発表されました。ところが、それまで検査されてこなかった外国人労働者を検査したところ、多数の感染者が確認されました。一部の地域では、再び活動が制限されました。同じ事態は、やはり外国人労働者が多いシンガポールでも起きています。
外国人労働者が密集して住んでいる集合住宅や、働いていた工場、建設現場などで、連日感染者の集団が確認されています。こうして、マレーシア社会では、外国人労働者は感染の温床のような目で見られるようになり、不満や嫌悪の感情が向けられるようになってきています。ロヒンギャ難民もまた同様に、以前はあった同情的な世論が減り、排斥を求める主張が、マレーシア社会で表立って広まっています。マレーシア政府は、不法滞在の外国人を拘束して収容所に拘束するという措置を進めています。その収容所の中で、新型コロナウイルスの感染者が急増していることも確認されています。
当面、ロヒンギャ難民は、苦労してたどり着いたマレーシアでも、窮地に立たざるをえないでしょう。感染症の伝染拡大が、人々の不安と不満を高め、憎悪や暴力が従来から弱い立場にあった人々に向けられる、という歴史上繰り返されてきた事態は、現在でも全くなくならない、ということが世界各地で露わになっています。感染症の拡大に際して、従来から弱い立場にある人々にしわ寄せがいかないようにはどうすればよいか、また、不安や恐怖が憎悪や暴力として暴発することをいかにして防ぐかは、学術的にも考察され続けるべき課題です。


<本稿に関連する著作>
塩崎悠輝(編)『ロヒンギャ難民の生存基盤―ビルマ/ミャンマーにおける背景と、マレーシア、インドネシア、パキスタンにおける現地社会との関係―』(SIAS Working Paper Series 30)、 2019年
出版情報へ:https://dept.sophia.ac.jp/is/SIAS/achievement/siaswp030.html(外部サイトへリンク)

<著者紹介>
塩崎 悠輝(しおざき・ゆうき)
1977年生まれ。イスラーム研究 / 東南アジア地域研究
同志社大学大学院博士課程修了。同志社大学博士(神学)。現在、静岡県立大学 国際関係学部 准教授。おもに、東南アジアのムスリム社会の調査研究を行う。主要著書: 『国家と対峙するイスラーム マレーシアにおけるイスラーム法学の展開』(2016年、作品社)等。国際宗教研究所賞を受賞。


(2020年7月7日公開)

ビデオ講義

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(2020年9月24日配信)

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